中選挙区制が続いていたら

実現すれば33年ぶりになった衆参同日選挙は見送られた、ようだ。安倍総理大臣自ら解散風を吹かせ、主要メディアもダブル選挙濃厚で足並みを揃えたように見えた時期があったが、もうひっくり返ることはないだろう。最高権力者の思惑に振り回される政治記事に辟易していたが、過去の歴史や未来の展望に想いを馳せる時間を、少しでも取り戻したいと思う。

日本経済新聞・最終面の『私の履歴書』に、今月1日から石原信雄元内閣官房副長官が寄稿している。石原さんは、昭和の終わりから平成の前半まで、〈政と官〉の狭間に立つ内閣官房副長官として、竹下さんから村山さんまで7人の総理大臣に仕えた。「平成の時代は官邸に権限が集中した。令和の時代には、その集中した権限の使い方が問われる。私の経験が役に経てばと思い、筆を取ることにした」と記している。

淡々とした筆致で、旧自治官僚時代からの経験を振り返っているが、時に、そうだったのか、と唸らされる詳細な記述に出会う。第23回『自民党分裂』〈懇意の小沢・梶山氏決別〉に、次のようなくだりがある。

「金丸事件を受け、93年の通常国会は再び政治改革法案が焦点になった。梶山幹事長は、小選挙区制に反対である。茨城県議から上がってきた経験から『中選挙区なら努力すれば上がれる可能性がある。小選挙区はそのチャンスがなくなり、政治が劣化する』としていた。いま言われている問題を当時から指摘しており、先見の明があった」。

NHKの記者になって5年、新潟局から政治部へ異動する直前の頃だった。功罪両面があるが、どちらかと言えば小選挙区制を変える方に大義があるんだろうな、と流れに棹差すような心境で政局を眺めていた。

いま考えても、官邸への権限の集中は、相対的に国力が低下していく局面を迎えて、方向性として間違っていなかったと思う。ただそれは、小選挙区制で実現を目指す必要があったかと言えば、疑問だ。そして、梶山さんが指摘していたように、地方議員や在野の人材が衆議院議員を目指すルートは、重複立候補を認める比例代表並立制と組み合わされたことで、回を重ねるごとに狭くなっている。そのことのダメージは、ことのほか大きいと思う。

「会期末が迫ると、小沢元幹事長は『総理が政治改革をやると言うなら、その証しに梶山幹事長を更迭すべきだ』と要求したが、宮沢総理は拒んだ。総理も本来は小選挙区制に慎重で、信頼する梶山幹事長が動かないなら仕方ないと考えていたのかもしれない」。

小沢さんらしい苛烈な行動であり、宮沢さんは穏健なリベラルを代表する政治家だったと思う。かつては極めて懇意だった小沢・梶山の権力闘争は、小沢さんが自民党を飛び出して、宮沢内閣不信任案が可決され、衆院選の結果、自民党は議席を増やすも過半数に届かず、非自民連立政権を誕生させた小沢さんに軍配が上がった。

あれから四半世紀が過ぎ、もし中選挙区制が続いていたら、日本はどうなっていただろうか、と思わずにいられない。超少子高齢化と人口減少、東京一極集中と地方衰退、社会保障制度の限界に直面し、選挙制度の見直しにエネルギーを割く余裕がないことはわかりつつ、日本の政治に多様性のダイナミズムを取り戻すためにできることを、松本で頑張ってやっていきたい。

積み重ねた時間と対話

ジセダイトーク

松本で新しいことにチャレンジするキーパーソンをゲストに迎え
松本のいまと未来を語ります。
臥雲が大切にする、世代を越えた多事争論。