今週日曜日に、初孫のお宮参りに行ってきました。生後間もない赤ん坊を抱く長男夫婦の姿を眺めながら、親から子へ、子から孫へ、いろいろなことが受け継がれていくんだなあと感慨に耽りました。北朝鮮の挑発的なミサイル発射、衆議院の解散、民進党の分裂、安倍1強の継続、トランプ大統領の来日と続いた、政治の喧騒が一先ず静まり、心を落ちつけて来し方行く末を考える時間を手にしたような気がしています。
一時は女性初の総理大臣誕生の空気さえ醸し出した小池百合子氏が、50日前に「日本をリセットするために立ち上げる」とした希望の党の代表を辞任しました。僕自身も、小池氏のリセット発言を聞いて、安倍1強体制の閉塞を打ち破るダイナミズムを一瞬なりとも感じただけに、50日間の落差に呆れると共に、十分な思索と地に足を着けた活動無くして本物の政治は生まれないと自戒しています。ただ、小泉純一郎首相の登場以降、政治家の誰もが意識せざるを得なくなった「劇場型政治」を再考する契機になれば、マイナスばかりではなかったと振り返る時期が来るかもしれません。
1990年前後の数年間に「冷戦終結」「バブル崩壊」という2つの歴史的な大変動に遭遇した日本人は、僕自身も含め、「改革」の強迫観念に駆られ続けてきたように思います。細川政権の政治改革、橋本政権の行政改革、小泉政権の郵政改革、民主党政権の政治主導、安倍政権の憲法改正。日本の政治は、四半世紀にわたって「改革」が叫ばれる時代が続いてきました。しかし、いつからか、何を克服するための改革なのか、どこを目指すための改革なのか、根本のところが曖昧となり、改革すること自体に意味があると錯覚する状況に陥っていたのではないでしょうか。そして、50年後に人口が3分の2に縮小するという最も根本的な問題には、本気で向き合おうとしませんでした。改革に疲れた今こそ、根本の課題に腰を据えて取り組む必要があります。
こうした時代に照らし合わせて、その人物と構想を改めて深く勉強したいと考えている政治家が、大平正芳元首相です。衆議院選挙のあと、松本の書店で購入できた3冊の本を読み耽りました。茫洋とした風貌やアーウーという話しぶりから「鈍牛」と呼ばれた大平氏について、大平研究の第一人者とされる福永文夫氏は、「政界屈指の知性派であり、政治を多元的・機能的にとらえ、政治に何ができるか、政治は何をすべきか、そして政治は何をしてはいけないかを問い続けた。そのリベラルでデモクラティックな政治姿勢といい、彼は政治の限界を弁えた含羞の人であった」と記しています。
とりわけ印象深いのが、大平氏の「楕円の哲学」です。物事を考える際、相反する2つの中心を対峙させ、両者が適度の緊張を孕みながら均衡を保つ状況から答えを見出そうとする姿勢を、常に持ち続けていました。行政と市民、社会と個人、政府と市場、アメリカとアジア、与党と野党、中央と地方。それぞれが重なり合う中で考察し、一方に偏りすぎることのない政治を目指しました。「政府に不満を持ち、政府に抵抗する民族であって、はじめて本当に政府と一緒になって、次の時代をつくれる」と自ら記しています。
正直に言えば、故郷・松本に戻り、安倍1強体制が長きにわたるまでは、大平正芳という政治家をそれほど強く意識していたわけではありませんでした。今は、さらに深く勉強していきたいと感じています。地方都市の中では諸々の条件に恵まれ比較的穏やかな状況を保っている松本市で、「楕円の政治」を実践する。そのための考察を、折に触れて文章にまとめていこうと思います。
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