堺屋さんが言い遺したこと

昭和から平成にかけて、感性豊かな言葉で時代の先行きを見通してきた、堺屋太一さんが亡くなりました。4年前に雑誌の企画で語っていた堺屋さんの「遺言」を辿りながら、ポスト平成の時代に改めて思いを巡らせてみたいと思います。

堺屋さんが言い遺したこと

僕と堺屋さんの接点は、自民党旧経世会の担当記者を務めていた1998年に遡ります。当時の日本は、北海道拓殖銀行や山一證券が相次いで経営破綻して金融不安が広がり、参議院選挙で大敗した橋本内閣が総辞職。旧経世会内部の政治力学で誕生した小渕総理大臣は、「真空総理」と揶揄されながら有能な人材を引き付け、組閣にあたって3人の人物を三顧の礼で迎えました。

1人は、持ち前の辣腕で内閣全体を取り仕切ることを期待した野中官房長官。もう1人は、自他共に認める経済通で異例の総理経験者の閣僚起用となった宮澤大蔵大臣。3人目が、通産官僚出身でありながら作家としてコメンテーターとして幅広く活躍していた堺屋経済企画庁長官でした。

小渕政権の最重要課題は、経済の再生。のちに批判を受けることになる超大型の財政出動を内閣を挙げて実行に移しました。立案は宮澤さん、調整は野中さん、広報は堺屋さん、という役割分担でした。豊富な知識と経験に裏打ちされた堺屋さんの、スポークスマンとしての言葉選びと説明能力は、出色でした。

堺屋さんが言い遺したこと

あれから10数年後、堺屋さんは、戦後70年の節目に日経ビジネスが企画した『遺言 日本の未来へ』と題する特集で、自らが生きてきた時代の本質を独特の表現で抉り出していました。

「戦後日本というのは、官僚が東京一極集中政策を猛烈な勢いでやっていたんですね。それで、特に全国規模の頭脳活動、つまり経済産業の中枢管理機能と情報発信と文化創造活動の3つは、東京以外でしちゃいけない、ということになっていた。だから、金融貿易は東京以外でしちゃいけない。大きな会社の本社も東京に置け。そのために、各種事業業界団体の本部事務局は東京に置けと。地方は頭がないんだから、手足の機能に専念しろ。つまり、農業や製造業、建設業の現場になれ、というわけです」。

東京一極集中とはそういうことだったのか、とモヤモヤしていたものが晴れて、腹に落ちました。全国規模の本部的な仕事は東京以外で行えないように仕向けられてきたんだな。若い世代が東京に集まっていくことは必然だったんだ。改めて慧眼だと思いました。

そして、堺屋さんは、バブル崩壊後も、日本が多様化の時代へ文明を転換できず、終焉を迎えたはずの規格大量生産を続けてきたことを指摘し、2020年までに『3度目の日本』をつくれるかどうかが未来を決める、と警鐘を鳴らしました。

「私は、最近『3度目の日本』ということを言っているんですよ。1度目の日本は、明治日本。明治維新で誕生した、軍人と官僚が専制した日本です。この日本は、ただひたすら『強い日本』を目指していました。2度目の日本というのは、戦後日本。これは『豊かな日本』を目指しました。規格大量生産で、官僚主導で東京一極集中、終身雇用、年功賃金。官僚が個人の人生設計まで全てを決めていました。それに従っていれば、それなりの中流になれた。いま日本がやらなければいけないことは、この官僚システムを壊すことです。『3度目の日本』。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する『楽しい日本』です。いま日本は、安全という意味では世界一安全です。だけど、全然楽しくない」。

堺屋さんが言い遺したこと

堺屋さんが4年前に語っていた「遺言」は、松本で日々問い続けていることに、心強い示唆と承認を与えてくれました。東京一極集中を打破して多様性に富む国を創っていくこと、松本がそうした時代の先駆けになること、市民一人ひとりが幸せを追求できる楽しい街にしていくこと。

タイムリミットの2020年が迫っています。


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