松本で捲土重来を期してから、3年半が経とうとしています。立候補表明から投票日まで2か月という超短期決戦の市長選挙で落選した夜、敗戦の弁を述べたときの光景は、今も目に焼き付いています。「もう一度やり直す」。4年という長さに何の見通しも立たない状況で、それだけは揺るぎない想いでした。
捲土重来の由来は、紀元前の中国に遡ります。垓下の戦いで劉邦に敗れた項羽が、長江西岸まで落ち延びてきたときに、現地の長が「土煙を巻き上げるようにもう一度チャレンジせよ」と説得したと伝えられています。項羽自身は「天はもう私を見放した」と勧めを断って自ら命を絶つわけですが、「捲土重来を期す」というフレーズは、後世に語り継がれていきました。
今から16年前、40歳になった直後だったと思います。承服できない事態が続き、NHKを退職して、徒手空拳で政治家を目指す決意を固めようとしたときがありました。その際、最後の後押しを期待して、尊敬していた政治家を訪ねて覚悟を伝えました。「そうか、わかった」と背中を叩いてくれるだろうと思っていたところ、「天の時、地の利、人の和はあるか」と厳しい表情で問い返されました。甘えを見透かされたような気持ちになったことを記憶しています。それ以上は言葉が続かず、席を後にしました。そして、自問自答を繰り返した挙句、政治家への道は封印し、NHKに残って報道の仕事を続けることになりました。
平成の時代、松本市は、対照的な2人の市長が舵取り役を担いました。前半の有賀市長は、「先人木を植え、後人涼を楽しむ」を座右の銘に、公共施設の建設に貪欲に取り組み、それらの先行投資を、世界的な指揮者である小澤征爾氏の招聘や公民館文化に根ざした福祉の拠点づくりに結びつけました。一方、後半の菅谷市長は、超少子高齢化人口減少時代の到来を見据え、公共投資にブレーキを掛けながら、「健康寿命延伸都市」を旗印として、検診予防に重点を置いた健康づくり政策や行政に頼らない市民意識の醸成に力を注ぎました。その間に、松本市は5つの町村と合併して3倍のエリアに広がり、来年2020年に10年の節目を迎えます。
令和の時代、松本市の大きな課題は、エリアが広くなったことを地理的な優位性に変えられるかどうかです。自分たちの声が市政に届かないという不満は、平成に合併した5町村だけでなく、中心部から郊外まで各地域が共通して抱えています。文字通り地域の特性を活かした街づくりを進め、松本全体として多様性の魅力を高めるために、35の地区町会や7つの地域ブロックという単位を念頭に、思い切った分権を実行して、地域拠点を強化することが必要です。市役所のソフト・ハードの両面を分散&ネットワーク型へ抜本的に見直すことで、松本の地の利を最大限に活かしていけると考えます。
NHKという大きな組織から離れ、故郷・松本で暮らした3年半で、世代や分野を超えた大勢の人たちと新たなつながりを持つことができました。そうした仲間とスクラムを組み、松本のイノベーションに取り組んでいきたいと思います。目指すのは、誰も置き去りにしない街、一人ひとりが豊かさを追求できる街です。そのために、全世代が恩恵を受けられるようにICTインフラを広く普及させ、幼児からの教育や地域包括ケア社会、公共交通の改革に積極的に投資する考えです。
「天の時、地の利、人の和」がすべて揃ったと胸を張って言えるように、残り半年、土煙を巻き上げながら活動していきます。