「北の国から」が描いた子育ての姿

子どもを育てることは、自分の人生にとっても日本の社会にとっても、一番重要な仕事かもしれないな、と感じる機会が増えているような気がします。今週初めに「保育の量と質は足りていますか」と題して月イチのトークイベントを開催し、参加していただいた人たちの熱い思いを聞きながら、改めてそう感じました。そんなときに立ち寄った本屋で目に留まったのが、この本です。

「北の国から」が描いた子育ての姿

ドラマ『北の国から』は、僕が大学受験を控えた高校3年の秋に放送が始まり、ちょうど最終回が終わる時期に、僕は東京の予備校に通うために故郷松本を離れました。それから20年にわたって8本のスペシャル版が放送され、そのどれもが人生の節目と重なり合っていました。「83冬」は、1浪して第1志望の大学に落ちた頃、「84夏」は、再受験してようやく入った大学の野球部でもがいていた頃、「87初恋」は、4年生直前の春合宿で指を骨折して失意に暮れた頃、「89帰郷」は、 駆け出しの記者として丸1年が経った頃、「92巣立ち」は、初めての子どもが生まれてまもなくの頃・・・。田中邦衛さん演じる黒板五郎とその家族が、北海道・富良野の大自然の中で様々な困難を受け止めながら成長していく生き様は、家族とは何か、大人になるとはどういうことか、その基準を示してくれていたように思います。

「北の国から」が描いた子育ての姿

「『北の国から』で読む日本社会」の著者、藤波匠さんは、大手シンクタンクの研究員で、人口減少時代の地方再生を研究テーマとしています。この本では、ドラマの設定に従えば80代となっている五郎の生き様を見つめ直すことで、方向感が見えにくい社会で生きていく価値や幸福感を改めて考えようと、いくつかの印象的なシーンが取り上げられています。
その1つ、2人の子どもを東京から富良野に連れてきた理由を別れた妻に伝える場面で、五郎は「時期が来たら、あいつらに・・・自分の道を選ばせたい。ただ・・・その前にオレは、あいつらにきちんと・・・こういう暮らし方も体験させたい。東京と違う、こういう暮らし方をだ。それは・・・ためになるとオレは思ってる」と語ります。
さらに、数百万円の借金返済に自宅の丸太小屋が焼失する不運も重なった五郎が、閉店間際のラーメン屋で子どもの涙ながらの告白を受け止め、「お前言っただろ。こないだ父さんに。風力発電がダメなら、どうして水力発電に挑戦しないのかって。・・・昔の父さんなら挑戦したはずだって。ドキンとした。こっちに来て4年、父さんいつの間にか、来た当時みたいなパワーなくして・・・いつの間にか人に頼ろうとしてた。お前の言う通りだ。父さんだらけてた」と語る場面は、父親とは本来どういう存在なのかを改めて僕らに分からせてくれます。

「北の国から」が描いた子育ての姿

「子育てと仕事の両立」が社会の問題となる時代に、松本市では何をやらなければいけないか。先日の議論で見えてきたのは、画一化から多様化へと変化している保育のニーズに対応できる体制を作り直すこと、より早期により高い水準の幼児教育の環境を整えることが社会全体に大きなプラスをもたらすという認識に立つこと、その上で全国に先駆けて保育士の待遇向上や保育情報の ICT化に取り組むことです。
同時に、子育てに関して改めて考え直す必要があるのは、父親の役割です。乳児期、幼児期、小学校低学年、小学校高学年、中学時代、高校時代。それぞれの段階で、父親が子育てに主体的に関わること。それができるように、働き方も住まい方も変えていくこと。これは、大都市よりも松本のような地方都市にアドバンテージがあるはずです。『北の国から』を、もう一度じっくり観てみたいと思います。


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